桑田さんが翔く
対流圏の彼方に飛び立ったJJ3TXXに贈る  
JR3MIX 田路 弘之
 1983年7月に430MHzで神戸市六甲山から沖縄県南大東島と交信でき、念願のWAJAを達成できました。以降は、沖縄のみを残す1200MHzのWAJAに注力しました。
 山頂からの移動運用が難しくなり、中腹からの運用に切り替え、運用場所について、山麓の桑田さんに情報提供をお願いしたことがあります。何十年も前のことで、詳細な年月日は、覚えていませんが、懇切丁寧に教えていただいた記憶だけが残っています。


兵庫県千町ヶ岳の山上シャック小屋

 また、CQ誌430MHzバンド情報ページの担当時には、貴重な各局のデーターなどを快く提供していただき、紙面を充実させることが出来ました。ただ、ダイレクト発送というQSLカードについての拘りもあり、170ネットには、結局、加入せずじまいでした。
 楽しそうな新年会などの情報に接するにつけ、一度、桑田さんとの初アイボールと取材を兼ね、参加したいと思っていましたが、叶わぬ夢となってしまいました。

 たった1局の出現で、エリア全体、いや、JA全体がアクティブになるという430MHzの世界で、170ネットを主宰された桑田さんの存在が、430MHzの愛好者にどれほどに大きな影響を与えたかは、今更ながら、言及するまでもありません。意識の薄れる中で、僅か70cmの電波に情熱を燃やし続けた桑田さんの遺志を受け継ぎ、携帯電話やスカイプを乗り越え、430MHzの世界を再興させよう。

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