桑田さんが翔く
ファースト アイボール  
JO7IZD 須藤 輝子
 「エコー、オスカー、チャーリーが59で聞こえた」
数年前のQSOパーティーの時、JG7EOCさんと私がCQを出して遊んでいた時の事でした。
 「こりぁいけるでぇ。あとはタイミングでっせ」
電話の向こうで関西弁が、私に固定局同士のコンタクトの夢をくれました。
しかし、現実は病と言う壁に阻まれ、叶わぬ夢となってしまいました。
 430SSBをこよなく愛し、170ネットを一人で背負い、多くの苦難と戦いながらも、最後までやり続けるのは誰にでも出来るような事ではないような気がします。
限られた時間を、心おきなく使う為に計画された北海道旅行。
 その途中に立ち寄ってくれた, にかほ市。あまりの有難さに、私もOMも複雑な気持ちのまま、短い時間でしたが、素晴らしい時を過ごさせて頂きました。
ファーストアイボールでありながら無線の話に始まり、阪神大震災、コマーシャルや学生時代からの話まで、時の過ぎるのを忘れたかのように話し続けてくれました。
まるで自分の人生を語るかのように。
 翌日、札幌に向かう飛行機を見送りながら、無理だと知りながらも「もう一度秋田の地に降り立ってほしい」と願ったのは、送迎デッキにいた三人が、同じ気持ちだったと思います。
 人の命は、個人差はあるものの、限りがある事は否定出来ません。
 その時間の使い方の一つを教えてくれたのが、桑田さんだったような気がします。

  芦屋に戻ってからも、幾度となく電話の向こうでその時々の体の状態や、複雑な心境を関西弁でそのまま聞かされ、私自身言葉を詰まらせたり、頬を伝わる涙をどうする事も出来ずに時を過ごし、自分の無力さに呆れるばかり。出会いがあれば別れがある。それを知りつつも、自分にとって大切な人の一人を失った事には違いありませんでした。
周囲の人たちの手助けが無ければ、歩いて行くことが困難な自分が、今、こうしているなんて・・・・・。
 桑田さん、有難う。
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