桑田さんが翔く
天国の 桑田さんへのQSO  
JO3FLY 崎長 留巳子
 桑田さん、天国からフレンド局と交信していますか?
 みんなの声は、届いていますか?
 そちらでは、OMさん達と、昼も夜も、宴会を開きながら、昔話に花を咲かせていますか?
 まだまだ、やりたい事が沢山あったと思います・・・・・
 それは、来世の楽しみにとっておいては?

 桑田さんの人生や生きざまは,みなさんの心にしっかり残っていると思います。
 少なくとも私の心の中では、かけがいのない無線の先輩でした。
 もう少し早く出会い、フレンド局との担ぎ上げ等に参加したかったです。(笑)

 私は、桑田さんと知り合って、約一年半位でしたね。
 430で、私が波を出していたら、、優しく声をかけて下さいましたね。
 今でも、ハッキリ覚えています。

 アイボールの印象も強かったです。
 私は、アイボールはできるだけ控えています。
 波の上での一期一会を大切にしたいから・・・
 しかし、桑田さんを知っておられたフレンド局が、交信中に「桑田さんみたいな人は、なかなかいない、貴重な人だよ」 と云われ、好奇心旺盛な私は、フレンド局と一緒にアイボールしてみたいと思いお会いしました。

 何と作務衣を着た人が、カウンターの奥に座って居るではありませんか。お店の大将と思ってしまいました。(笑)
 そうしたら、何と、波の上で知り合ったJJ3TXX局ではないですか。
 それから、430のSSBでは、数える程しか波を出していない私をMLの京都オフ会に呼んで下さいました。

 桑田さんの言動は、全てが驚きの連続でした。

 京都オフ会のときにも体調はかなり悪かったはずなのに、そんな雰囲気を出さず、みなさんを見守っていた桑田さんの姿が、今も脳裏に焼き付いています。

 それからが、桑田さんの闘病生活の始まりでした。
 私は、幸か不幸か、医療関係の仕事をしています。
 いろいろお世話になった桑田さんに恩返しをしたかったのですが、果たして何かしてあげる事ができたのでしょうか。

 桑田さんは闘病中に、「新年会まで生きるんや・・・、生きれるのかな・・・」自問自答のように、聞いておられました。

 普通の人の抱えきれないほどの物を抱え込み、頑張っておられました。

 還暦を過ぎて、初めての大手術に、過酷な抗がん剤の副作用と闘いながら仕事に、無線の活動に・・・、尋常な精神力と体力ではないと思いました。
 手術の前に、私は、「人の為に生きるのではなく、これからは、自分の為に生きてください」 と云うと、桑田さんは「私は、人の笑顔を見るのが好きなんや・・・、それは、これからもかわらない・・・」 と云われました。

 私は、微力ながら、出来るだけフォローして行こうと思いました。

 私は、桑田さんとの出会いで、いろんな事を学ばせて頂きました。
 悔いはないと云えばウソになりますが、後悔はしていません。

 もう苦しまず、安らかに天国で、自分の為に仲間と楽しんで下さい。

 半年経ち、ようやく、ここ迄書けるようになりました。率直なJJ3TXXさんへの手紙でした。

 私は、これからも無線を続けて行きます。桑田さんの為にも・・・
 こんな私ですが、これからも宜しくお願いいたします。

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