桑田さんが翔く
桑田さんと170 NETへの想い  
JG3JQP 武者 美代子
初めて桑田さんと交信した時のことを思い出してみました。
まだ神戸市垂水区で4エレシングルの時でした。
430SSBを始めて間もない頃でしたので、桑田さんの事も170NETの事も知らずにCQを出していた桑田さんに声をかけました。

その時の事、覚えていますか?
私は、その素敵な声で「桑田佳祐」を思い描いた事を話したのです。
そして、あちこちからブレイクが入り、沢山の人と初交信しました。

初めてお会いしたのは、大阪と兵庫の境の山「妙見山」でした。
お誘いを受けて、登ってみたものの大きなANT軍団に近づくのに怖々でした。
でもその時から、移動運用の面白さアイボールの面白さに引き込まれて行きました。
夢中でJCCとJCGを追いかけました。


桑田さんも良く出かけた京都府宮津市の移動運用

病気になり、色々と環境が変わり精神状態が悪い時期もありましたが、無線で知り合った友人達がメールや電話をくれたおかげで元気がわいてきました。
桑田さんがおっしゃった「赤い糸」ですね。
仲間に感謝しています。

そして、まだかつら姿の時、京都の山での移動運用場所に参加した時の事。
桑田さんが「良く頑張ったな!」と頭をなでなで・・・
今でも、そのあたたかい手を忘れる事が出来ません。

私も治療が辛いと思うことが多いですが、前向きに頑張ってゆきます。

これからも「赤い糸」を大切にします。
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