旅立ち4日目
2006年7月15日
 道の駅での野営の生活にもすっかり慣れ、朝晩の暮しの段
取りもスムーズ。水汲み、コンロのセッティング、発電機の
始動、こんなところが私の仕事。食材や食器を収納したケー
スを手際よく開け閉めしながら家内が甲斐甲斐しくうごきま
わる。できれば、そんな光景を人から見られないように、車
を停める位置にも神経を使う。
 食卓の準備が整うと、小型の折畳みのイスを出して座り込
む。蚊の襲撃に弱い彼女のためには、足もとの何処に蚊取り
線香を置くかが肝心。とくに風向きを考えなければならない。
食事が終わると、後片づけと着替えた下着などの洗濯のため
近くのトイレや水場に、バケツを下げて彼女が出かけていく。
 身だしなみを整え、飲料水のタンク、ガソリンの予備タン
ク、そして発電機を最後に積み込んで、出発になる。

 今日からは、山陰の素朴な但馬海岸の隠れ道をのんびり走
りながら、鳥取の砂丘へのコースをめざす。178号線から外れ
た海岸沿いの狭い田舎道を走る。集落から集落へと小さな登
り下りを繰り返しながら磯の香りを楽しむ。所々立派な舗装
道路が急に出現したり、魚が乾してある生活道路に戻ったり、
変化が激しい。行き交う車も少ないと思っていたら、いきな
り凄いダンプカーに出会ったり、決して油断ができない。そ
れでも静かな裏道をのドライブは、また格別だった。
 賑やかな観光地や温泉場はなるべく避けようと努めた。 
 このコースで、以前から楽しみにしている訪問先があった。
山陰本線最大の難所といわれた餘部(あまるべ)を訪れるこ
とだった。鉄道マニアなら誰でもしっている、あの「余部鉄
橋」の景観だ。
 ここは兵庫県美香町佐津。国道178線が、いよいよ海岸に
突き当たり、複雑な上り下りになる。テレビの朝ドラの「ふ
たりっこ」で多くの視聴者の興味を誘った、狭いが素朴な港
町、香住が目に前に現われる。ここの何処でロケをやったの
だろうか。見上げる急斜面の山肌に墓地が見えている。主人
公の男の故郷という設定だった。
 静まり返った漁港の岸辺に降りたち、海水に足をさらす。
風もなく穏やかな昼のひととき、人影がまったく感じられな
い佇まいだった。山陰本線の香住駅は山を少し登ったところ
にあるはずだ。 
 険しい浸食にさらされた但馬海岸の岩が美しい。こんな狭
い懐のような港の脇で軽食を摂る。コンロの上で沸きあがる
蒸気でケトルが音を立ている。

「コーヒーにしようか」、「そうだね」いい時間だった。
 話に聞いている余部鉄橋は、もうすぐのはずだ。再び数キ
ロも走らないうちに、前方に海が開けたとおもったら、眼前
に、しかも上空を横切る鉄橋が、突如、現われた。
 思わず叫んでしまった。「鉄橋だ!」。それは、まさしく
探していた余部鉄橋だった。あっという間に、その下をく
ぐって、国道は餘部の畑作地帯へ出た。
 鉄橋の橋脚に「さよなら余部鉄橋」の看板があった。山陰
本線の最大の難工事だったといわれる、この鉄橋は明治45年
に完成し、高さ41.5m,長さ310.5mの景観はマニアを喜ばす
にはじゅうぶんだった。あの幾多のSLも走った光景はとて
も印象的で、今でも鉄道マニア思い出の被写体だったろう。
 この高さ、この場所は、吹き抜ける風の強さもすさまじく、
冬場の烈風で、1986年12月の車両転落の大事故を思い出す。
山陰本線が、この鉄橋の開通で完成下といわれているが、90
年も経った老橋を架け替える話がすすんでいるという。賛否
両論だが他に方法がなく、またまた、大工事になりそうだ。
 振り返ると、気動車がゆっくり橋を渡り始めていた。マニ
アのカメラの放列がシャッターをきっていることだろう。橋
脚の誓うに行くと、思った通り、かなりの人たちが群がって
いた。
 うまく的中した光景にめぐりあわせてとても嬉しかった。


気動車が通る


余部鉄橋
 相変らずの素朴な海岸線を走ること二時間、いつしか鳥取
市に入っていた。何年前になるだろうか、仕事で山陰地方を
歩いたときに、一度だけ訪ねた鳥取砂丘が近づいていた。
 国道から砂丘地帯への取り付け道路も完備し、砂丘への入
り口もも整備され、商店街と大きな駐車場が待ち受けていた。
東西16km,南北2kmの砂漠で、スリバチや馬の背は相変らず
深い砂に覆われているが、それ以外の場所は緑化のきざしが
見えている。草たちの生命力の強さに驚く。いつか、この砂
丘の景観も失われるのではないか、そんな危惧を持った。
 海開きを明日に控え、道の駅「神話の里白うさぎ」も準備
に大わらわだった。因幡の白うさぎ、神話の舞台だ。